文化財
窪八幡神社
窪八幡神社は、『大井俣神社本紀』によると、貞勧元年(859)に勅によって九州宇佐八幡宮が勧請され、笛吹川の中島である大井俣にまつられたので大井俣神社と称したのがはじまりといわれ、その後、社地を現在の窪の地に移し窪八幡と呼ばれるようになったと伝えられています。本殿は、中殿に応神天皇、北殿に仲哀天皇、南殿に神功皇后がまつられています。昭和26年(1951)の解体修理で永正16年(1519)の墨書が発見され、この頃に建立されたことが明らかとなりました。形式は十一間社流造・檜皮葺で、三間社流造の三社が間に1間をおき、それぞれ横に連結して11間の形となる、わが国に現存する最大の流造本殿です。神社本紀には、弘治3年(1557)に武田晴信(信玄)が信州出陣の際配下に命じて扉に金箔を再興させたと記されています。
各社正面の六面の板壁には壁画が描かれ、正面の大部分に金箔装飾が施されています。
関連リンク
山梨市サイト「窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿」(外部リンク)